主婦が「仕事でやりたいことが見つからない」はおかしい?子どもの手が離れたら思うこと
2017/12/21
子育てに一段落、ようやく自分の時間が持てるようになった。
時間もある、やっと思うように働ける、でもやりたいことが見つからない。
主婦は、生活基盤はすでに旦那さんのお給料によって保たれていて、
教育費とかたまにの贅沢とか、特別を求めなければ生きていくことはできる。
「できる時間」が増えたとき、やりたいことが見つからない自分に焦る。
なんだか取り残されているような気持ちになって、やたらと気持ちだけは先走ってて。
こういうことって、そんなに少ないわけじゃないと思うんですよね。
真面目に主婦業をして、子どものためにがんばったからこその気持ちかもしれないです。
やりたいことが見つからない。それって情けないことなのか?
絶対に、そんなことはないって思います。
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目次
仕事でやりたいことが見つからない。「この先ずっとこのまま?」な虚しさって
子どもが小さいうちは、母親の働き方はとても限られたものになります。
まだ1人でお留守番できない時期、送り迎えが必要な時期、
そういうときに多くの女性は「母親であること」を選ぶし、
母親を選ぶ以上、どうしても仕事を制限しないといけない場面が増えるからです。
それを「(・д・)チッ」と思うこともあるけど、いざという時に選ぶのは子どもと家庭。
それが「主婦の働き方」の前提です。
でも、その前提を作らなくてもよくなり始めた頃。
「制約があるがゆえに選んだ仕事」を、選ばなくてもよくなった頃。
ふいに、数年後も今のままでいる自分に不安を抱くことがあるんですよね。
「私、このままの仕事を続けていっていいのか?」
「妥協して選んだ仕事を、数年先もずっと続けているのか?」
「そもそも、この仕事は私がやりたかったことなのか?」
でも、やりたい仕事なんてないし、やりたいことも見つからない。
なんか、自分がとたんにダメな人間になってしまったように思ってしまう。
でも。
やりたい仕事が見つからない。やりたいことが見つからない。
それって全然悪いことじゃなくて、むしろ普通のことかもって思うんですよ。
私も、「本当にやりたいこと」なんて見つかったことがないです。
新卒入社の会社を適当に選ぶ。退職して見つけた会社を天職と思っていたが
私は、新卒で入社した会社を半年足らずでやめてるんですよ。
当時はわりと社会問題になっていた「第2新卒」の筆頭らへんです。
なんでやめたか?
「ブラック企業だったから」というと、まだ聞こえはいいですが、適当に会社を選んだからです。
もともとは違う業種を希望してたんですが、そこの採用試験に落ちまくってしまって
たまたま最初に内定をもらえた企業にそのまま入っちゃったという。
業界自体がよくわからないし、加えて言うなら興味がない。
プラス「ブラック企業」ってことで、辞める理由が多すぎるほどでした。
んで、退職して第2新卒になって、就職活動をして新しい会社に入りました。
≫≫主婦の派遣ってどうなの?就職失敗から派遣登録した私が今、率直に思うこと
んで、新しい会社は普通の会社で、ここでの「普通」は「ブラックじゃない」ってことですが、
その会社に入ってから私、ものすごいやる気に満ち溢れてたんですよ。
なんつーかもう、今思うと若者の空回りっつーか。
何でもやってみたくて、失敗もたくさんして、でも上司にかわいがってもらうことも多くて。
「これは天職かもしれない!」「私がやりたかったのはこれだ!」
ガチでそう思いました。
そして子どもを妊娠して産休と育休を取って、職場復帰。
戻ってきた職場は、思っていたものとはちょっと違いました。
≫≫私が走ったのはマミートラック。ワーママの働きやすさを選べる時代になればいいと思う
そして数年後に退職。
思うことはいろいろあったけど、きっと本当にやりたいことなら続けられてたはず。
少々の嫌なことや理不尽や、大変さなんて乗り越えていけたはず。
少しやり方を変えてでも、子どもが大きくなってからでも戻ってくるはず。
でも退職を選んだし、私はその業種に戻ることはおそらくありません。
「やりたいことだ!」と感じたのはもしかしたらその場の勢いなだけで、
結局は天職じゃなかったんだし、本気でやりたいと思うことでもなかったってことかなっていう。
何が言いたいかよく分からなくなったけど、つまりは、
「やりたいこと」なんてその場その場で変化するもので、
「見つからない!」って思う心境さえも、その場その場で変わってくものなんだろうと。
見つからないと思ってそれを探している時間が、実はけっこう幸せな時期なのかも、と。
「やりたいことがない」はブレーキの証拠かも。まずは取り除いてみる
日常生活まで範囲を広げると、「好きなことがない」ってほぼありえないと思うんですね。
例えば私の生活の中から細かいことから拾い上げていくと、
・子どもの勉強を見てあげるのはけっこう楽しい
・子どもに難しい言葉の意味を教えてあげるのが好き
・ミステリー小説を読むのが好き(イヤミス好き)
・のんびり散歩するのが好き
・文章を書くのが好き
・子どもが楽しい場所にお出かけするのが好き
わりとつまらないことばっかですが、私の生活の中の「好き」はこんな感じ。
でですね。
私は学生時代から本を読んだり日記を書いたりするのが好きなタイプでして、
正体不明な過剰な自信につつまれていたころは、「文章を仕事にできたら」なんて思ってたんですよ。
でも、その現実を見て自分のポジションが分かり始めてきた頃。
┐(´д`)┌「ムリだ。私が文章書いて生きてくなんて無謀過ぎる。」
それは子どもを生んで育休を取るまで続いていて、年齢を追うごとに、
「こんなおばさんに、そんなのムリムリ」っていう。
でも結局、退職後に始めた在宅ワークは、「記事執筆」からでした。
≫≫転勤族の妻に在宅ワークという選択。私が通って来た道は今の仕事につながっていた
安い報酬だったし、名前なんてのるわけもないし、思い描いていたものとはだいぶ違ったけど。
それでもそのときの経験が、今の仕事につながってるとは思うんです。
浅い浅い、「ヒマだしとりあえずやってみるか!」っていうノリです。
年齢を重ねるごとに「そんなのする年じゃない」ってことが増えていって、
やりたいことにブレーキをかけるのが上手になってきます。
私も今、かけてるブレーキが2つほどあるんですが、なんだろう、めっちゃ強いブレーキ。
これを外すと、やりたいことの幅がきっと広がる。でもちょっと怖くて。
それでもきっと、やってみたら楽しいんだろうなぁと思うけど。
でも、「始め方が分からない」とか言い訳を始める自分もいたりして。
このブレーキ、外すとけっこう、自分のやりたいことが見つかるようになります。
やりたいことが見つからなくても悩む必要はない。目の前のことをコツコツと
「やりがいのある仕事をしよう」「母親も輝ける仕事を見つけよう」
こういう系の言葉、聞くことが多くなってきましたが、
やりたいことが見つからないって悩む必要なんてまったくないですよね。
偉そうに言える立場ではないですが、「今」見つからないだけかもだし、
実は自分の中にある「やりたいこと」にストップをかけてるだけなのかもだし。
例えば私が、パティシエになりたいとして。
アラフォーだし、今から学校に通う気力もお金もないですし。
お店を出してお菓子を作るのはムリでも、教えることはできるかもしれない。
作ったお菓子を、委託販売することはできるかもしれない。
どこかのお店で、デザートとして採用してくれるところがあるかもしれない。
自分の努力次第で、ずらし方次第で、やり方はもしかしたら増えるのかもです。
きっと「やりたい仕事」も「やりたいこと」も、日常の中での延長線上にあるんだろうと。
だから、目の前にあることをコツコツとやっていく中で、
「これ!」っていう気持ちになっていくこともあるんだろうと。
そんなふうに思ってるところ。