働く母親は子どもに影響を及ぼすか?共働き家庭のさみしさとママが思うべきこと
2018/02/07
母親が働いていると、子どもが不安定になるんじゃないのか?
今仕事をしているママも、これから仕事をしたいと思っているママも、一度は思ったことがあるんじゃないでしょうか。
仕事があると、子どもにずっと付き添っているわけにはいかないし、
子どもの学校行事に参加できないこともあるかもしれない。
専業主婦家庭とは違うことに寂しさを感じて、その寂しさが原因で不安定になってしまったら…
働く母親は、子どもにどう影響するのか。
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目次
母親が働いていると子供は不安定になりやすいのか?結局は個人差で終わる
まずは「働く母親」といっても、就業形態にはいろいろあるわけですよね。
パートもあればフルタイムもあれば、自宅勤務の在宅ワーカーもあります。
その中で「影響がある」と仮定できるのは
悪影響 評価に影響を及ぼす要因としては、有業・無業という区分よりも、
子どもをおいて外に働きに出ているかどうか(母親と子どもとの接触時間が短くなる働き方かどうか)
を基準にしたほうがより適切だと思われる。
引用:『母親の就業が子どもに与える影響』渡辺朝子著(PDF)
専業主婦家庭に比べてってことだと思いますが、子どもといる時間が短くなる働き方をしている
っていうことを前提に、影響について考えたほうがいいよっていう。
つまり、働いているからどうとか、働いていないからどうっていう話ではなく、
そもそも「母と子の接触時間が短い」ということが軸になるんじゃないかってことですよね。
専業主婦で子どもといる時間が短いって状況はよく分からないですけど、
「影響があるのか?」と考えるべきなのは、
仕事をしていないときに比べて、子どもに接する時間が減ってしまったという場合。
うーん、そうとばっかりは言えない気もしますけども。
共働きの子どもへの影響は良いものもあれば悪いものもある
とかく「悪影響を及ぼす」と思われやすい共働き家庭ですが、
もちろん、悪いことばかりではありません。
母親が常勤に滞在していた女性よりも、母親が家の外で働いていた女性は仕事を持つ可能性が高く、
職場での監督責任を果たしやすく、賃金も高いという。
働く母親によって育てられた男性は家事に貢献し、家族の世話をする時間を増やす傾向があります。
引用:ビジネスリーダーのためのビジネスリサーチ(英文)
母親が働いている姿は、子ども自身の「働く意識」が身につくことに加え、
出産しても働き続けることを選ぶ、上のポストにつこうという上昇志向も強いという。
そして働く母親に育てられた男の子は、結婚しても家事育児に参加傾向が強いと。
母親に頼る思考ではなくて、母親を助けたり協同していく意識が強くなるのかもです。
その一方で、
乳幼児期の母親の就業は、 子どもの成績と有意に負の相関があることが分かった。
(中略)
乳幼児期の母親の就業と子どもの成績の負の相関は、学年が上がると減少し、
中学校では相関がなくなることも示された。
母親が働いていることは、乳幼児期の子どもの成績には関係しているけど、
それも中学校になると、それほど関係なくなるよっていう。
子どもがまだ幼い頃には、母親が働くことの影響は出やすいのかもですが、
ある程度大きくなると、「母親が」というよりも、その子個人の性格によるもののほうが大きくなるのかもです。
実際に、母親の立場から見る「ワーママの子ども」像
で、ここからは私の個人的な意見なり感想なりです。
わが家には2人子どもがいまして、上の子は小学校高学年女子です。
この頃になると、いわゆる女の子っていうイザコザやトラブルが起こりやすくなってくるんですね。
んで、これは偏見とか言われちゃうともうどうしようもないし、私自身も働く母親なので、
自分でも「どうなの?」と思う部分もあるんですけどね。
先生が登場して、親も手を貸さないといけないほどのトラブルになる子は、
ガチのフルタイムで働いている共働き夫婦の子どもであることがあります。
夜ご飯も子どもだけで食べいないといけなくて、
朝、登校する前に親はどちらも出勤していて、行事もほぼ参加できていない。
そういう家庭の子は、トラブルを起こす傾向は強いと思います。
根っこにあるのは「さみしい」だと思うんですが、年齢的にそういうのを表には出さないです。
それでも、見ていると要所要所にダークな部分を持っている気がする。そんな感じ。
ただ、フルタイムの共働きだからといって全ての子どもが不安定になるわけではないんですよね。
当たり前ですが。
結局は、どれだけ子どもといる時間が短くても、
その短い時間、子どもとどんなふうに過ごすかっていうのが重要なんだなと。
んで、それをその子が「どう感じているか」っていうのも大切で、
そしたら最終的には「個人差があるよね」ってことで終わっちゃう気もするんですよね。
働く母親は罪悪感を持つべきなのかもしれない
「働くことに罪悪感を持つべきではない」
「子どもがかわいそうなんて思う必要はない」
最近よく聞かれるこの言葉は、そりゃそうだろうなと思う反面で、
それでも母親は、子どもといる時間を犠牲にして働いていることについて罪悪感を持つべきとも思う。
預ける経済的、心理的コストが大きければ大きいほど、
「そうまでしてやる意味がある仕事かどうか」が頭をもたげ、
常に「この時間があったら子どもになにをしてあげられるか」を意識するようになっただけ
引用:『働くママと子どもの「ほどよい距離」のとり方』中野円佳
要はコレなんですが、「してあげられなかったこと」に「ごめん」と思ったほうがいい。
天秤にかけて仕事を取った自分に「悪いことしたな」って思ったほうがいい。
こう思うからこそ、子どもといる時間を大切にしようと思えるし、濃い時間にしようと思える。
必要以上の罪悪感が必要だとは思わないけど、ある程度の罪の意識は必要なんだと思う。
「かわいそうかもしれない」と思うことは、悪いことではないと思う。
≫≫「保育園はかわいそう」それは間違いじゃないが実は重要でもない。ママは気持ちを楽に持とう
母親は過去の決断を思い返してはいけない。将来のことのみを考える
一時期専業主婦期間があったけど、私はずっと仕事をしていて、
外で働いたり自宅で働いたりっていう違いはあるけども、「働く母親」です。
だから正直、働く母親が子どもに悪影響だとは思いたくないんですよね。
どっちかっていうと、プラスの側面だけを見ていたい。
結局、「悪影響かどうか」なんて、親の性格や子どもの気質に大きく左右されるものだし、
研究結果も「どっかの誰かの子ども」も、自分に当てはまるかなんて分からないですしね。
それを踏まえて思うんですが、母親は過去に自分がした決断を思い悩んではいけないと思ってます。
(´・ω・`)「あの時、あんなふうに言うべきじゃなかった」
(´・ω・`)「あの時、こうすればよかった」
子育てに関することは特に、タラレバがものすごく多いです。
ときどき、出産の時まで遡ったりしてね。帝王切開しなかったら良かった、みたいな。
でも、母親が過去の決断を悩み始めるとキリがないです。
「あのときの決断は間違ってなかった」
大きいものでも小さいものでも、とにかく自分の判断は「あの時」には間違ってなかった。
こう思ってないとやってられないような気がするんですよね。
「働いたら子どもに影響があるかもしれない」あのとき、仕事を辞めたら良かった?
「働いたら子どもに影響があるかもしれない」仕事を始めるのはやめるべき?
影響があるかどうかは分からないし、それが悪いものかどうかも分からない。
仕事をしようと思った自分の決断を疑い始めると、こりゃもう大変なわけですよ。
逆に、仕事をやめた決断も、後悔するとキリがないです。しちゃいますけどね。
例えば今、仕事をしていて子どもが不安定になっているとして。
その不安定さが、母親の仕事が原因なのかそれ以外になにかあるのか。
仕事を原因にしてしまうとものすごく簡単に答えが得られるけど、分からないじゃないですか。
分からないものに対して悩んでしまうよりも、将来に向けて悩んだほうがいいかなと。
昔も今も、子どもに関する悩み事は尽きることはないけれど。
子どもに何かあったとき「助けて」と言ってもらえるような、安心できる場所だと思えるような
そういう関係を作っていけるには、どういう働き方をしていったらいいのか?
考えているところ。